映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を
鑑賞してきました。
映画のネタバレを含みます。
また、私はXのタイムラインで目にする
ちいかわ原作や登場人物についての知識しかないため、
異なった解釈をしている部分もあるかと思います。
あらかじめご容赦いただけましたら幸いです。
「境界線」の話に見えた
映画を見て、私にはこの作品が、
各登場人物の「境界線」の話に見えました。
セイレーンによってフタバが重傷を負わされます。
その結果、ヒトハはフタバを助けようと、
食べさせるために人魚の命を奪う選択をします。
しかし、人魚を食べるという行為は、
セイレーンの境界線を越えてしまいました。
そしてセイレーンは、
人魚を食べた犯人への報復として、
島民をさらい、食べるようになります。
それによって、共存関係を維持していた島民と
セイレーンたちの関係も崩れていきます。
こうして見ていくと、登場人物それぞれの
ボタンの掛け違いが重なった結果として、
事態が大きくなっていったように感じました。
誰か一人を悪いと決めてしまうのが
難しい構造になっているのではないでしょうか。
視点が変わることで、境界線も変わる
ただ、もう少し遡って考えてみると、
そもそもの発端は、ヒトハとフタバが
「人魚を食べると永遠の命が得られる」
という情報を知ったことにあるのでは
と思いました。
それまではセイレーンや人魚を、
畏怖する存在として見ていたのかもしれません。
ところが、
「人魚を食べれば永遠の命が得られる」
という知識を得たことで、
セイレーンたちに不用意に近づいてしまう。
同じものを見ていても、
そこに新しい視点が加わった瞬間に、
相手との関係性が変わってしまうことがあります。
そう考えると、
この物語では「境界線を越えたこと」だけではなく、
相手を見る視点が変わったことで、
境界線が崩れやすくなった
とも考えられるのではないでしょうか。
だから、ちいかわが主人公なのかも
境界線に注目して映画を見ていると、
ちいかわの存在が改めて印象に残ります。
怖くても、困っている人を助けたい
という気持ちで行動する。
けれど、自分が考えていることを
何でも相手にぶつけるわけではない。
相手を思いやって、言わずに秘めておくこともできる。
そして、誰か一人の事情だけを優先するのではなく、
それぞれの事情を抱えた登場人物たちをつないでいく。
そう考えると、ちいかわは単に「優しいキャラクター」
というだけではなく、
相手の境界線を大事にしながら、
人と人との間に立てる存在なのではないでしょうか。
だからこそ、
英雄的でもあり、主人公といえるのだなと思います。
見る人によって、違うものが見える
映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を見て、
私は境界線に注目しました。
同じ作品を見ても、
登場人物の関係性を見る人もいれば、
キャラクターの心情を見る人、
物語の面白さを見る人もいるでしょう。
私自身「誰が悪いのか」ということよりも、
「それぞれがどこまでなら許せるのか」
「相手にとって何が越えてはいけない線なのか」
というところが気になりました。
映画ちいかわは、見る人によって、
また違った視点を与えてくれる作品なのでしょうね。



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