SNSで何かを発言する事の怖さについて

SNSで言葉が変わっていくように見える理由

SNSを見ていると、

常に何かを議論しているように見えます。

一番最初に発言された方は、

単にそのことが嫌だと思っただけだったのかもしれません。


それが拡散されるたびに、

「別の方の言いたいこと」が取り入れられて

当初の言いたい事とは変わってしまっているのでは?

と思う事があります。


誰かの発言を自分事のように捉えてしまい、

発言をしないといけないように感じてしまうみたいな。

発言する前に考えすぎてしまう癖について

私の場合は、その発言をすることで

相手がどう感じるのかまで考えてしまい、

SNSでもそれを書いて大丈夫なのか
そのポストに対して自身が反応することで相手に悪く取られないか

などと考えて止まってしまう事が多く、
自分の気持ちを出すのが悪いことのように考えてしまい、
中々外に出せずにいます。

「ちゃんと説明しないといけない」という前提

私自身、子供のころに嫌な事があった際に家庭でそれを伝えると、

「お前が悪い」

で済まされることが常で、

自身の中で納得できる形で考えないとならない状況でしたので、

感情を表に出す時は、

それ相応の理由が必要なのだと思い続けてきました。
相手と会話するという事は

相手に分かってもらうための理由づけが必要なのだろうと。

未完成のまま出すという選択

近頃は、会話はそこまで構えてしなければならないものではなく、

未完成の段階でも表に出してもいい
出したことを後で調整する形でも成立する

という視点があるのも分かりました。

思考を置いておく場所としてのブログ

SNSでの発言や、会話することの怖さは、

単に「誤解されること」ではなく、

「自分の意図が自分の手を離れて変形していくことへの不安」

にあるのかもしれません。

SNSで発言することに躊躇した経験は少なくないと思います。
そうした時代だからこそ、

自分の考えを整理しながら書き残していく場所の意味は、

以前よりも大きくなっているのかもしれません。

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