推しの理想のファンであるべき論の怖さ

SNSで見かける理想のファン像

推し活においては、

推しから提供されるものを受け取ることに感謝して

ファンは黙々とコンテンツに時間やお金をかけるべき

という話を結構目にします。

それぞれの向き合いかた

推し活をされている方は

それぞれのスタンスや生活があって

ライトに活動を追ってるだけでも楽しめる方

推しの活動を余すことなく見続けたい方

推しを見る事で生きる活力にされている方

といったように、

ファンそれぞれが

グラデーションのように存在している事で

成り立っている世界です。

その中で、

自己を抑えて推しに対して向き合うという理想像は、

一方では、

自身が楽しむという事を抑え込んでるように

感じる事もあります。

理想であることの難しさ

勿論、推しに対して迷惑をかけない

という前提があっての話ですが、

推しの活動において推せない部分があったとか

自分に合わないコミュニティだったとか

以前より熱量をかけられなくなってしまったとか

運営体制に納得ができない所があるとか

そう言った価値観の違いの部分を吐き出したことが、

別の意図として受け取られてしまうことがあり、

ファン同士が逃げ場のない構造にしてしまう事

これも怖いなと思ってしまいます。

推しに対して誠実であり続けることが

ファンとして当然となってしまうような。

まとめ

ここで私が書いている事も、

他の方にとってはそれは違うと成り得る話です。

なかなか難しい話ですが、

お互いに良い距離感で

推し活ができるようであればいいなと思います。

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